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あしたへ向かって

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なぜ、核兵器はなくならず世界中で拡散し続けるのか?2

1989年~2016年

核兵器が削減される一方で核の世界への拡散が進む

トランプ登場以前の世界は、核軍縮

が確実に進行していました。1989年の冷戦終結で米ソの対立が解消され

ると、核軍縮の気運が高まります。1989年には、両国が約1万発ずつ保有している戦略核兵器の弾頭数を、7年間で6000以下に削減する戦略兵器削減条約(START)に両国が合意しま

す。

そして条約発効から7年後の2001年に、完全履行されました。

09年にオバマ米大統領に就任すると、核軍縮の動きはさらに加速。「核なき世界」の演説でノーベル平和賞を受賞したオバマは、ロシアとの交渉にも積極的でした。両国は10年、条約発

効後7年以内に自国の戦略核弾頭を1550以下に削減する新戦略兵器削減条約(新START)に署名します。

ところがこうした動きも、トランプの

登場で再び停滞が危倶されるわけです一方で冷戦の終結は、世界への核の拡散をもたらしました。旧ソ連の核管理がずさんだったために、盗難や密輸事件がたびたび発生したのです。01年

に起きたアメリ同時多発テロ以降は、核テロの可能性が深刻な問題として取りざたされることになりました。

98年にはインドとパキスタン、06年には北朝鮮が核実験を成功させ、5大国以外の核保有を認めていないNPT体制を大きく揺るがせました。インドとパキスタンはそもそもNPTに加盟

しておらず、北朝鮮は8年にNPTを脱退しています。これらにより、核兵器や核技術を国際的に管理することの難しさが浮き彫りになりました

 

 

1946年~1989年

核の国際管理 に失敗し

米ソが核軍拡競争に突入する

核を国際社会で管理していく重要性に、人々は核兵器を使用した直後から気がついていました。1946年の第1回国連総会で最初に決議されたのは、核問題を討議する原子力委員会の設置だったからです。核問題は国連において最優先事項だったわけです

しかし当時はすでに冷戦が始まっており、委員会では米ソが真っ向から対立します。ソ連は、核兵器はすべて廃棄されるべきだと主張。当時核兵器保有していたのはアメリカだけでした

から、アメリカが応じるわけがありません。

議論は行き詰まり、国連は核兵器の国際管理に失敗しました

そして9年、ソ連は核実験に成功し、アメリカに次いで2ヵ国目の核保有国になります。そこからは米ソによる際限のない核軍拡競争が始まります。アメリカの核兵器保有数がピー

クに達したのは66年の約3万2000

発、ソ連は86年の約4万5000発で

した。また52年には水爆、55年に原子

力潜水艦、59年にICBM(大陸間弾

道ミサイル)、60年にはSLBM(潜

水艦発射弾道ミサイル)と、次々と新しい核技術も開発されました。

62年には、ソ連アメリカの裏庭にあたるキューバに核ミサイルの配備を進めていたことに対して、アメリカのケネディ大統領が「キューバから核ミサイルが発射されれば、アメリカも報

復する」と表明し、世界は核戦争寸前

まできました(キューバ危機)。両国の交渉により何とか危機を回避できましたが、一つ間違えば、今ごろ人類は存在していなかったかもしれません。

 

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「核なき世界」をすでに実現している地域がある?