自由に使える時間こそ真の富
を読み、
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私が一年のときに、論文のテーマ
我が闘争を思い出した
医療倫理の授業で731部隊について、
学ぶことがあり、
授業のレジュメに参考文献として載っていたので
日本でも似たようなことをしていたというNHKの731特集を見た
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このような悲惨な歴史を繰り返してはいけないと強く考える
しかし、 敗戦後、将軍たちは去ったが参謀たち(佐官クラス)は残った
731部隊細菌研究医療人体実験のデーターと引き換えに、生き残った、そして、その子孫がいま世襲議員となっている日本
日本はしっかりと戦争の反省をしていないことが今日の政治にも現れているのではないか
昨日うつけんスクールの講義でも、靖国の話題が少しでていたから
私も靖国についても書いてみようと思う
靖国神社は普通の神社ではない
敗戦後、将軍たちは去ったが参謀たち(佐官クラス)は残った、
残った参謀たちが自衛隊の幹部となり、
してはいけないはずである旧軍の聖戦史観=大東亜戦争史観と対米従属を見事に調和させることで、自衛隊を生成、肥大させてきた
私なりの考えだが、軍隊には戦死者を護国の英雄として祀り称える靖国神社のような顕彰(兵士の再生産)装置が不可欠、靖国というナラティブ(ストーリー)が必要
先の戦争の性質いかんにはかかわらず、国民を戦争に駆り立てたいから
「職場二死シ、職域二殉シ、非命二斃」
戦没者を国家が追悼するのは当然だ
しかし海没した兵士、餓死した兵士、
非業無念の死を強いられた死者たちは、「大東亜共栄圏」の「虚構」の共犯者であり、今なおその「虚構」を維持し続けている靖國神社に護国の英霊として祀られることを望んでいるのだろうか
問題は政教分離原則違反だけではない
1月13日付朝日新聞社説は、「陸自靖国参拝旧軍との「断絶」どこへ」と題し、「憲法が定める政教分離」の原則に抵触するというだけではない侵略戦争と植民地支配という戦前の「負の歴史」への反省を踏まえ平和憲法の下で新たに組織された自衛隊の原点が風化している
のではないかと疑わせる振る舞いではないかこの機会に、陸自にとどまらず、自衛隊全体として靖國神社との関係を徹底的に点検すべきだ」とここに述べたい
幹部自衛官の靖國神社参拝は単に「政教分離原則」に抵触するだけに留まらないからだ
小泉純一郎首相(当時)は、靖國神社参拝を批判された際、日本国内で日本の首相が行けないところはどこもないと嘯き伊勢神宮の参拝は批判されないのに、どうして靖國神社の参拝だけが批判されるのかと居直った。前段部分について「在日米軍基地にも自由に入れるのか」と突っ込みを入れたくもなるが、
問題は後段部分だ
首相の伊勢神宮参拝も憲法 20条の規定する政教分離原則に抵触する違憲な行為である
しかし、日本社会で首相の伊勢神宮参拝は靖國神社参拝ほどの批判を受けてはいない
もちろん韓国、中国等からの批判もない
批判したら内政干渉だ、
中国、韓国等が批判するのは靖國神社参拝についてだ
首相らの靖國参拝には政教分離違反にまらない重要な問題がある
日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには悲しいことですが、外国との戦いも何度か起こったのです
明治時代には『日清戦争』『日露戦争』、大正時代には『第1世界大戦』昭和になっては『満州事変』、『支那事変』そして『大東亜戦争(第2次世界大戦)』が起こりました。戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです」やすくに大百科引用
A級戦犯合前に象徴されるように靖國神社は現在もなお日本の近現代における戦争をすべて正しい戦争であったとする「聖戦史観」(大東亜戦争火観)に拠って立つ
日本の近・現代におけるすべての戦争を正しい「聖戦」であったとする、世界に通用しない
また国内の歴代政権の公式見解に反する存在である靖國神社に、強力な殺傷兵器を装備し対手の殲滅を目的とし、政治学では「暴力装置」(マックス・ウエーパー)と称され、最も厳しく法、法令順守が求められる自衛隊という「実力組織」が組織的に参拝しているという事実が大問題だ
なぜメディア、宗教者らは、政教分離原則違反だけでなくこのことについて語らないのか
私は強く疑問に思う