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あしたへ向かって

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人類は遺伝学を数千年前から用いていた

人類は遺伝学を数千年前から用いていた
 人類が農耕を始めたときから、遺伝学を用いていた。1万年前から始まったとされる小麦の栽培は、収穫の多い種類を交配して選択することにより、より収穫の多い品種に改良していった。このようにして麦、豆などが改良されて行った過程がある。また、米も紀元前5000年頃には中国やインドにおいて栽培されていたとも言われている。
また、犬はオオカミから人間に従順な種へと改良が進められて家畜化され、農耕によって定住した人々は、盗賊などの警戒のために犬は大変便利といわれていてその後、羊や豚なども家畜化されていったとされている。
 

約4000年前には、バビロニアにおいて様々な色や大きさと味のナツメヤシが開発されていたが、人間や家畜の性質は複雑である。人間でも子供は父親と母親に似るよりも祖父や祖母に似ることもある。これらのことから一般に遺伝には、先祖と子孫に何らかの関係があることはわかるが、はっきりとした法則を認識することは困難とされていた。

グレゴール・ヨハン・メンデル(1822 - 1884)
 生物学に革命を起こしたグレゴール・メンデルは、大学の教授ではなかったが、司祭で農家に生まれであった、植物については知識が豊富であったと思われる。1843 年に聖アウグスチノ修道会に入会後も、1851 年からウイーン大学で自然科学や数
学を学んだ。彼はそこで、科学的方法を学んだといわれている。その後、修道院に戻り、1856 年から 1863 年の間に修道院の中庭で、エンドウ豆の交配の実験をした。
1865 年に研究成果の公開講義を行い、それを翌年にドイツ語の学術雑誌に発表したが、その後メンデルは昇進して司祭となり、修道院の管理の仕事に忙殺されて残念であるが充分な研究ができなくなってしまっていた。
したがって、メンデルの研究はこのわずか8年間に行われたものだったのである。また、メンデルの発表した雑誌はあまり読まれない雑誌だったので彼の研究を知る人はあまりいなかった。彼は、1864 年に功績が評価されることなく亡くなった。
1901 年になり、3人の植物学者達がメンデルの見つけた法則を再発見し、その
ときの文献にメンデルの研究が発見されたのだ。その後、メンデルの研究
はドイツ語から英語に訳され、やっと多くの人の目に触れることになった。

当時の生物学とは観察が主な仕事であり、科学的手法を用いた実験という考えは邪道であった。つまり、少なくとも遺伝に関する限り、当時まで生物はサイエンスとは言えなかったのだ。生物学の遺伝をサイエンスにしたのがこのメンデルという科学者なのである。